1.快気内祝というタイトル
快気内祝というタイトル 2008.05.30
個展をしよう、と漠然とは考えてた。理由は主にふたつ。
2006年の6月から1年間、悪性リンパ腫という血液がんでの入院生活を送り、その間、そして退院してからのリハビリ期間も写真を撮り続けていた。その写真で個展をしようと思った。「非日常が続いていく日常」のさまを自分が今一番まとまって見たい、今できる解釈をして「ああそうだったのか」と思うことができたら、その時初めて説明のつかないぐずぐずとした感情から解放されて、新しくまた行けるのではと、そんな気がした。病気の渦中のあの時わからなかったことが、写真を並べてみたらなにがしかの理解のフックがちらっとでも現れるかもしれないと思ったから。いやちょっと違うな、理解なんかしなくてもいいんだけど、合点がいきたいだけなのだきっと。自分の合点のために、個展をしよう。そう思った。
もう一つの理由。支えてくれたすべての愛すべき人たち、病気になって病院で出逢えた人たち、そして先に天に召されていった仲間たち、その人たちに、元気になった私を快気内祝として贈りたいと思ったことだ。私が生きているということを無条件に喜んでくれる人たちに何かプレゼントしたい。単純に「個展出来るまでになったんだ」と喜んでもらいたいと思った。そして天に召された仲間たちには「とりあえずこっちで楽しんでるよ」と精一杯伝えたいと思った。
がんという病気は、人との縁を無理矢理ちぎっていく。誰が悪いわけでもない、がんとはそういうものだ。私から去っていく後ろ姿を何人も見送り、時には私から手を振り払った。病気を通して仲間になった人たちとは、命の別れが何度かあった。そういうことを過ごしてみて、今そばにいる人たち、天国にいるけどきっとそばにいてくれる人たち、大事な人たちに快気内祝を贈りたい。素直にそう思った。
そういう気持ちで、このタイトルになった。
入院日記
・2006.06~12 初発 12C 1252・2007.02~07 再発 すててこ女房
2.突然、決めた
突然、決めた 2008.05.31
2007年の6月に退院してから9ヶ月経っていた今年の3月。「すご~くかわいいギャラリーがあるんですよ」と友人のみのりちゃんに誘われ、目黒のそのギャラリーを訪れた。普段はオーナーのコレクションのアンティークな食器を売ってるお店で、展示があるときはギャラリーに模様替えすると。行ってみて、驚いた。かわいさ加減が半端ない!なんだろなんだろ、どうしてこんなにも心惹かれるの?!スイッチが入り目がハートになっている私を見て、みのりちゃんが「でしょ~」とにやり。
退院してすぐはまだまだ廃人で、20mと歩けず地下鉄の階段では遭難していたが、少しずつ体力がつき外出もだんだん出来るようになってきていた。「そろそろ個展しないの?」と問われることも増え、うんしようかなと思ってると答えていたが、具体的にいつするかとは全然決めていなかった。2008年中にはなんとかしようと思いつつ、定期的にまだ訪れる体調の波のせいにしたりして考えるのを延ばし延ばしにしていた。いつまでもやるのを決められない言い訳で「なんかピンとくるギャラリーがねーないんだよねーイマイチねー」などと言っていた。
しかし、ド真ん中のギャラリーに出会ってしまったのだ。1フロア三坪弱の1階2階。本当にちっちゃいけど今の私にはジャストサイズに思えた。幼い頃ままごとをしていて「こんなお家に住みたいな」と妄想した空間が目の前に突如出現していた。やろう、ままごと快気祝い。
「やるんだったら早いほうがいいよ、すぐやっちゃいなよ」みのりちゃんは言った。その通りだった。いつまでも先延ばしていてはいつまでも前には進めない。早くしなければと思った。かわいいのにギャラリー名が「1530064」なんてクールでかっこいいと思った。もう何もかもすべて良かった。興奮で頭がぐるぐるとしていた。翌週「6月にお借りしたいんですけど」と再びギャラリーを訪れて決めた。まずギャラリーありき、のスタート。でもそれでいい。みのりちゃん、ほんとありがとう。
3.DMの写真
DMの写真 2008.06.01

DMは2枚の写真を使っている。両方とも私の足だ。快気内祝というタイトルだから、なんとなく紅白にしてみようかなと思いついた。上の白いシーツの足は、入院中の病院のベッド。下の紅い絨毯の足は、退院してからのホテルのフロア。
2枚をデザイナーのみのりちゃんに送り、何種類も提案してもらって、プロってすげえなと驚く。悩みに悩んだすえに、やっとひとつ選んだ。
もう一つ意味がつけようと思えばつけられて。赤は私の血液、血潮。白は、移植の時にみた造血幹細胞。
4.入院生活という「日常」
入院生活という「日常」 2008.06.14
「個展に何をかけるの?」と聞かれ、「うん、まあ入院中の・・・」と言うと、いろんな反応が返ってきて興味深い。「人生のどん底で生と死を考え抜いてる時の写真なのね!」「それって自虐的に自分に向き合う気分があるよな」「転んでもただで起きてなるものか!って気持ちだね」とか、いろんなことを言われるが、そんなたいそうな意地や哲学は私には全くないので、素直にびっくりする。
「どんな写真をかけるんですか?」と言われると、一昨年から去年にかけての日常写真というかスティルライフですというのが、一番しっくりくるのかなと思う。
写真に写っているものは入院生活で、それは元気な人からみたら「非日常」なんだと思うのだけど、非日常もそれがしばらく続けば驚くほどのスピードですぐに日常になっていく。クリーン閉鎖病棟で七転八倒しながらも、それが紛れもなくありふれた日常だ。それを撮った。病気でもそうじゃなくても、日常というものをやり過ごしていくために写真を杖にしている私は、病気の前から続けている日常写真を撮るということを、たまたま病気になった時にも続けたというだけ、とも言える。
とはいっても、元気な時には気づかなかったことがやっぱりちらほらとあって、そういう意味では「特別な日常」の1年間だったことは事実だ。だからこの写真達で個展をしようと思ったのだ。でも「特別な日常」ではあっても、「非日常」では決してない。
当時一緒に戦った入院仲間の若い女の子は、「かわいそうなんて思われたくないの。今だって一生懸命頑張って生きて、泣いて、笑って、頑張って落ちこんで怒ってはしゃいで、テンション上がって下がってっていう普通の毎日を過ごしてるんだもん。病気している人と何も変わらない毎日を精一杯生きてるって、みんなにわかってほしいんだ」と、言っていた。私も全く同じ気持ちだった。もし私が元気になって個展をすることがあったら、この気持ちで写真を貼りたいな、とその時思った。
そういうことで、今回の個展の写真は並んでいる。
5.コンデジがくれたもの
コンデジがくれたもの 2008.06.18

プリントはきれいにこしたことはないと思うのである。私だって三脚にRAW撮影ぐらいしているし(たまに)。しかし今回はファインプリントで美しく整然と写真を並べる写真展ではない。きれいにはできなかったのである。まあ今までそんな展示をしたこともないのだけれど。
入院中は抗がん剤の副作用で両手先のしびれが違和感がひどく、力も全く入らなくなって差しいれの写真集や単行本を右から左に移動することさえままならなかった。間断ない吐き気、治療によるさまざまな痛み、意識の危うさ。一眼レフのような大きなカメラを構え露出をいじり・・・なんていう悠長なことはとてもしていられない。
小さなコンパクトデジカメだけが、あの時の私に写真を撮らせてくれた。パジャマのポケットに、売店へ行くポシェットにちょこっと入れ、病院中どこにでも持って行き、さっと撮る。自分の処置中でも片手が自由なら撮影できるし、少し暗いところでもぱっと撮れる。そういう風に写真を撮れることで、とても気持ちが落ち着いたし、かけがえのない記憶を残すことができた。
フィルムカメラで撮り現像に出しプリントして・・・なんてことではレスポンスが遅すぎて、あの時の私にとっては記憶にも記録にもなりえなかったであろう。撮った写真をすぐ見れなくてはならなかった、いつ見られなくなるかわからなかったから。フィルムカメラでは日々の日常を撮り、すぐパソコンで確かめ、日記代わりにし、時にはメールで送り、ブログにのせることで周囲に知らせ、何かを確認しながらまた写真を紡いでいくということは不可能であった。コンパクトデジカメだけが、それを可能にしてくれたのだ。人とつながる細い糸、自分と未来をつなぐ細い糸を、コンデジだけがもたらしてくれた。
たった2000枚の入院中の写真の中で、セレクトするのは本当に困った。病院の中というのは思っていたよりかなり暗く、オートで撮ると勝手に高感度撮影になっていて、パソコンの画面でみるとそうでもないものが紙出力すると目も当てられないほど荒れ荒れで汚いことが往々にしてあった。片手が点滴や点滴ポールを引っ張っていたりでふさがって、しびれる片手で撮影した写真も多く、ピントがきてなかったりぶれたりした写真もいっぱいあった。正直「これは使えないかも」という写真がすごく多かった。
でも、今回の展示にかぎっては、ぶれようがピントがきてなかろうが荒れていようが、この写真がどうしても必要だと思ったら使おうと思った。そして写真の焼き込みや色のいじりもごくごく最小限にして、できるだけ撮影時そのままのデータにした。あの時を、そのままに。単なる自己満足だけど、そういう気持ちでそうした。
一台のコンデジが私にくれたものは、ファインプリントとは真逆の、泥くさくかっこわるい写真たち。それが今回の展示なのである。
6.わかちゃん
わかちゃん 2008.06.25

わかちゃんは私の入院仲間であり同志だった。この写真の真ん中に写っているおんなのこである。
去年の5月下旬、幹細胞移植の事後が良くなく、3週間の40℃発熱コースと腸捻転で苦しみ抜き地獄をみた私はようやっと回復のめどがつき、個室から二人部屋に回されることになった。ほんの2.3日前までお風呂に車いすで連れて行ってもらい介助で入浴していたのに、一回自力でお風呂場まで行ったら「藤田さんかなりよくなったから二人部屋ね」と婦長さんに言われ引っ越しすることになった。血液内科・移植病棟はいつも混み混み。3週間も個室を占領できた私はある意味特別だったのである。
まだ体がふらふらだった私は正直二人部屋が億劫で不安であった。二人だと、同室の人が相性が悪いと最悪だからだ。半分いやいや引っ越しを了解し部屋にいったら同室のひとはいなかった。明後日まで外泊だよ、と看護婦さん。どんな人?と聞くと「いまどきの若いコ。でもすごいいいコだよ」と。
外泊から帰ってきたそのコは「よろしくお願いします」とぺこりと頭をさげた。私と同じ、丸坊主でメガネ。でも可愛い子だなと思った。
年がほぼダブルスコアなのに、なぜかわからないけど初日から一気にうち解けた。だいたい二人部屋だと慣れるまではなんとなくカーテンをひいてパーソナルエリアをキープしたいものなのだけど、そういうふうにしたいとは全然思わなかった。今考えても本当に不思議だけど、9時の消灯を越えても12時過ぎまでずっと話をしていた。わかちゃんと私の仕事の業界が近く、それもあって話はつきなかった。病気のこと、仕事のこと、友人のこと、恋愛のこと、そして家族のこと。彼女は話し、私は聞き、そしてその逆。それが延々と続けられた。「不思議だね、私、初対面の人にこんな話するタイプじゃないんだけど」「私だってそうだよ」と笑いあった。
彼女と二人部屋で過ごした時間は、たった5日間だった。そのうち二日間はわかちゃんが大量化学療法で副作用が半端なく、それを最小限に抑えるために日中は眠る薬で寝ている時間が長かったけど、わかちゃんが起きてるときは、彼女は良くしゃべり、私も良くしゃべり、お互いがお互いの話をよく聞いた。私たちはあり得ないほど理解し合えた。今から考えると、それもちゃんと意味があったのだろうと思う。
私が退院して、彼女も程なくして退院したが、病状がおもわしくなくすぐにまた入院した。私は1週間に一度の外来日には必ずわかちゃんのところへ行った。確かに病状はシビアであったが、わかちゃんなら必ず乗り越えると信じて疑わなかったし、彼女はどこまでも冷静で前向きだった。
でも、9月に入ったらあっという間に病状は進んだ。そのスピードが速すぎて冗談じゃないかと思うくらいだった。
最後のお見舞いをして、私が温泉に行っている2日間のうちに、意識がなくなり呼吸が楽になるように眠る薬を入れられていた。わかちゃんのお姉ちゃんのなっちゃんからメールをもらい病院にかけつけてみれば、腫瘍でほとんどつぶれた肺で必死に最後の呼吸をしていて、肺からバリバリと音がしていた。え、何?よくわかんない。事態がのみこめなかった。なっちゃん、何?お父さんお母さんのお顔を見た瞬間、すべてを悟った。
わかちゃんはちょっと浮腫んでいたけど、丸坊主で可愛い顔であったかかった。禁止されてるけど私はベッドに乗り、わかちゃんの肩を抱きほっぺをくっつけた。わかちゃんはこんなこと言ってましたよあんなこと言ってましたよと、すらすらと言わされるようにいろんなことが口をついて出た。
それから30分後、わかちゃんは天に召された。
「藤田さんと一緒に写真撮りたい」と夜中になると必ず彼女はいい、じゃあ明日撮ろうと私は言って、翌日は彼女が治療や副作用で日中はダウンしたり私が検査続きだったりして、結局彼女の入院中の写真は一枚も撮らなかった。だからお姉ちゃんにわかちゃんの生前の写真が見たいのと頼んで見せてもらった。
そこには本当に本当に美しいおんなのこが写っていた。
今回の展示はわかちゃんに捧げる意味もある。わかちゃんの写真の写真。わかちゃんが天国へ行った直後に私が撮った空の写真。
そしてメモリアルボックス「cosmic rainbow」を竹中りんごに作ってもらった。ミスチルが好きだったわかちゃん、元気になったら写真をするといっていたわかちゃん、部活はクラリネットを吹いていたわかちゃん、お葬式には歴代の彼氏が来て泣いたわかちゃん。そんなわかちゃんが、メモリアルのコラージュのなかにいっぱい詰まっている。そのボックスと会期中は私はずっと一緒だ。
「かわいそうなんて思われたくないの。今だって一生懸命頑張って生きて、泣いて、笑って、頑張って落ちこんで怒ってはしゃいで、テンション上がって下がってっていう普通の毎日を過ごしてるんだもん。病気している人と何も変わらない毎日を精一杯生きてるって、みんなにわかってほしいんだ」
そう言っていた彼女が、きっと私に今回の個展をさせてくれた。別れだけど別れじゃない。絶対に。
7.心ばかりのプレゼント
心ばかりのプレゼント 2008.06.25
今回の個展に来てくださった方に、個展のタイトルにちなみ心ばかりの小さなプレゼント、内祝を差し上げることを思いついた。内祝の品物はすぐに決まった。そうしたらそれをそっと包むものには、やはり毛筆で書いたタイトルが欲しくなった。しかし私は書道は全然やったことがなく筆字は書けない。そうだ、あの人に書いてもらおう。すぐにまたまた思いついた。
最初の入院の時、副作用でかなりまいって、「どうしてますか」「大丈夫ですか」のメールに「どうもこうも、大丈夫じゃないし」などと思い、そんなこと思う自分自身に落ちこんでいたときに、一通のきれいな和紙のはがきが病室に届いた。きくちくんだ。小泉孝太郎似の好青年。書をするひとだなんて聞いてなかった。
はがきに書かれたその文字に、目を見張った。めぐさんの生命力も力強く芽吹きますようにと思って、というその書は、私をたちまち勇気づけ、そのはがきは再発後の移植につながっていく苦しい治療、そしてがんが消えた入院生活の最後まで、つねに私のベッドのサイドテーブルの上にあった。
あの字、今回の内祝の表書きにぴったりじゃないかと思った。私が元気になれた字を、きくちくんにまた書いてもらい、来てくれた人たちに配ることによってまたシアワセがきっとひろがる。そんな気がした。
ということで、いらしていただいた方には、書と ちっちゃな品の「快気内祝」がシアワセを運びます。
8.ギャラリー「1530064」
ギャラリー「1530064」 2008.0627
不思議なリカちゃんハウス。長時間なごむ人続出。
この中に、76枚の写真たち。
搬入日。嘘くさいほどのきらきらした夏日。
青いTシャツ、グリーンのパンツが私。
みのり こぐれさん 岩橋さん まささん サトケイさん きくちくんと。
「cosmic rainbow」竹中りんご
このソファがなごみの大きな要因。
表からみると映えます。
外観はこんな感じ。斜め前はホリプロ。
9.快気内祝を終えて
快気内祝」終えて 2008.07.03
ギャラリーにめぐりあって3ヶ月で準備した今回の個展。とにかく体力が持つのかどうか周囲にはハラハラさせ通しだったけど、なんとか無事終えることができた。
本当にまったく予想もしていないたくさんの方が来てくださった。仲間や知り合いより初対面の方のほうが多く、とても不思議だった。また再び人とつながり、新しい関係や展開が生まれていくかもしれない予感にわくわくすること。そんなことを、久しく忘れていたのだ。いわゆる塵一つない不自然に遮断された閉鎖空間にいたときの写真を貼っているのに、その写真が新しい繋がりの手をいくつものばしていく。その不思議さ。
「なんか個展って、搬入日に展示したときに終わってるんですよね」と最終日にいらした方に言われた。本当にその通りだった。
搬入の日、きらきらした嘘くさい夏の日の光のなかで白い壁に写真を貼り終えたあの時に、私の中ですでに今回の「快気内祝」は終わっていた。写真を貼り終えてしみじみと見たときに、すでにあの写真達の輪郭はおぼろげになり始めていた。あの写真達に対する執着も、きっと何かへの執着も、「快気内祝」の空間をしつらえ終えた時に融けていったように思う。
そのあとの6日間は、極上のおまけだ。
来てくれた人たちの反応は様々で、そのどれもが私の宝物になった。来場者の方々のナミダも笑顔も、本当に、ラグジュアリーな「おまけ」の宝物。
パーティの最中、「次は何をやろうか」とずっと考えていた。今回の「超極私的な」写真を終えた次にくるもの。それがきっと、やっと私のスタートになる。
本当にありがとうございました。支えてくれたすべての愛すべき人たちに、心からの感謝と愛を。

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